統合失調症で心神喪失無罪。外形的、客観的にみれば故意は肯定。
東京地裁R5.6.13
<事案>
被告人が路上で通行人の背部をペティナイフで突き刺して傷害を負わせた殺人未遂とその際のペティナイフの不法携帯の事案。
<争点>
責任能力と故意の有無
<主張>
検察官:
被告人は統合失調症による幻覚の著しい影響を受けて本件犯行を行ったが、残された正常な精神機能によって本件犯行を行った部分もあり、心神耗弱の状態にあった。
弁護人:
被告人は統合失調症による幻覚の圧倒的な影響を受けて本件犯行を行った⇒心神喪失を主張。
故意について:
殺人未遂について、死亡という結果以前の「人」の認識に関わるもの。
<鑑定>
起訴後に精神鑑定を行った医師の鑑定意見は、被告人は、本件犯行当時、統合失調症にり患していたほか、境界線の知的機能(境界知能)であり、統合失調症の症状は、幻聴や幻視の異常体験が非常に活発となって最も悪化しており、幻聴等の程度は非常に混乱を来す程度に重かった。
<判断>
①医師の鑑定意見の信用性を肯定
②鑑定意見と事実関係等を総合
⇒
被告人は、本件犯行当時、統合失調症の症状が急性増悪した影響により、幻聴や幻視の異常体験が非常に活発となってかなり混乱する中で、女子中学生の幻視による「あの人は幻覚だから刺しても大丈夫。」という幻聴に逆らえずに従い、自らがペティナイフで刺している対象が実在の人であると認識できず、あるいは人である可能性を考える余裕がなく、それ以外の行動もとれない状態のまま本件犯行に及んだ可能性が否定できない。
~
本件犯行当時、統合失調症による幻覚の圧倒的な影響を受けて本件犯行を行ったものであり、心神喪失の状態にあった疑いがある。
・・・精神障害の影響を除き当時の状況の下で外形的、客観的にみれば、故意の存在は肯定できることを前提に責任能力を検討した。
<解説>
●
心神喪失:精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力(弁識能力)又はこの弁識に従って行動する能力(制御能力)がない状態のこと
心神耗弱:弁識能力又は制御能力が著しく減退した状態
●
裁判員裁判⇒
端的に「精神障害のためにその犯罪を犯したのか、もともとの人格に基づく判断によって犯したのか」という視点で検討するのがよいとの提言。
vs.
もともとの人格とは?
⇒
精神障害の影響のためにその罪を犯したのか、正常な精神作用によって犯したのか
という判断枠組み。
●裁判例①~⑫
●本件:
被告人が幻視や幻聴のため、対象が実在の人であると認識できず、あるいは人である可能性を考える余裕がなく、それ以外の行動もとれない状態のまま本件犯行に及んだとされている。
同様の例:
薬物性精神病のため、母の再婚相手を人間の姿をした「ケモノ」と考えて殺害するなどした裁判例⑪
統合失調症のため、祖母が頭から黒い影が入って2本の角がある鬼のようなものに変身して包丁と灰皿を持って向かってきたという幻覚妄想下で、その祖母に暴行を加えて死亡させた裁判例①
統合失調症のため、自分とかつての同級生であった女性以外が哲学的ゾンビだとする妄想等により5名を殺傷した裁判例⑥
~
行為の対象に対してこのような認知の歪みがある場合は、善悪の判断の前提となる行為の意味性質を弁識する能力自体が損なわれている
⇒精神障害の影響により罪を犯したと判断されることが多い。
このような場合、故意が欠けていると判断することも可能。
but
認知の歪みの存在を判断するためには、精神障害の有無、程度、それが認知の歪みに与えた影響等について検討せざるを得ず、これは責任能力の判断に直結するもの
⇒
故意の問題というより、責任能力の問題として処理されることが多い。
●
本判決:
本件犯行について、精神障害の影響を除き当時の状況の下で外形的、客観的にみれば、故意の存在は肯定できる。
~
自らがペティナイフで刺している対象が実在の人であると認識できず、あるいは人である可能性を考える余裕がなかった⇒対象が「人」であるとの認識がなく「殺人」の故意たなかったことになる疑いがあり、そのような判断をしたものでないことを注意的に明らかに。
but
「故意」は、まさにその時、その人が実際に認識していたところに従って判断されるべきもので、「精神障害の影響を除き当時の状況の下で外形的、客観的にみ」た「故意」は、犯罪成立要件としての「故意」とは異なる。
but
あえてこの部分を付加したのは、医療観察法との関係を考慮したためと推察。
●
医療観察法:
一定の重大な他害行為を行った者が、心神喪失や心身耗弱と判断され、刑の執行を免れた場合、社会復帰のため必要なときは、入院又は通院の治療を受けさせることができる。
同法2条1項に「対象行為」が規定されるが、全て故意犯。
⇒
相手を人ではなく「ケモノ」と信じて攻撃を加えたときは「殺人」の故意が認められないため、対象行為を行ったとはいえず、同法上の処遇をすることができないのではないかという疑問。
平成20年最高裁:
心神喪失として不起訴となった後、事後強盗致傷を行ったとして医療観察法上の処遇の申立てをされた者が、統合失調症による妄想等のため窃盗は事後強盗等の認識を欠いていた事案において、
対象者が統合失調症による幻覚妄想の状態の中で幻聴、妄想等に基づいて当該行為を行ったときは、対象行為に該当するかどうかの判断は、対象者が幻聴、妄想等により認識した内容に基づいて行うべきではなく、対象者の行為を当時の状況の下で外形的、客観的に考察し、心神喪失の状態にない者が同じ行為を行ったとすれば、主観的要素を含め、対象行為を犯したと評価できる行為と認められるかどうかの観点から行うべき。
but
医療観察法は、同法上の処遇の申立てについて、
①不起訴処分を経たとき(同法2条2項1号)と
②確定判決を経たとき(同項2号)
の2つのルートを定め、
①⇒対象行為の存在と心神喪失・心神耗弱について判断
②⇒この点について判断しない(同法40条1項、42条)。
上記平成20年最決は①に関するもの。
~
②の場合、対象行為の存否を判断する契機がない。
裁判例⑬:
故意を、①構成要件要素としての故意と②責任要素としての故意に区分し、
対象を人として認識していない⇒②は否定
人の外観を有し、人の振る舞いをするものとの認識を有している⇒①は肯定
すなわち受訴裁判所があらかじめ①を認定することで、問題の解決を図っている。
vs.
①②は実定法上の概念あるいは実務上確立された概念ではないし、①がどのようなものであるかは必ずしも明らかではなく、幻覚妄想が極めて著しく、対象を「人のようなもの」とすら認識できない場合は構成要件要素としての故意も認められないことになる。
増田(最判解説):
①精神の障害による錯誤以外には故意を欠くことはない
②被告人が幻聴、妄想等に基づいて行った行為について、これを当時の状況の下で外形的、客観的に考察して、心神喪失の状態にない者が同じ行為を行ったとすれば、主観的要素を含め、対象行為を犯したと評価できる行為であると認められることを確認した上で、故意の存否の判断を留保して責任能力の判断に進むことを提案。
本判決は、これを採用。
判例時報2588
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