最高裁R4.2.15
<事案>
市の住民であるXらが、本件各規定(大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例、5~10条)が憲法21条1項等に違反し、無効であるため、審査会の委員の報酬う等に係る支出命令は法令上の根拠を欠き違法である⇒市の執行機関であるY(大阪市長)を相手に、地自法242条の2第1項4号に基づき、当時市長の職にあった者に対して損害賠償請求をすることを求めた住民訴訟。
<一審・原審>
本件各規定が表現の自由を制限するものであるとした上で、
本件各規定は憲法21条1項等に違反しない
⇒Xらの請求を棄却。
<判断>
条例ヘイトスピーチの定義について規定した本件条例2条1項:
①同項1号が、表現活動が人種又は民族に係る特定の属性(「民族的属性」)を理由として、個人又は集団を社会から排除すること等の不当な目的をもって行われたものであり、
②同項2号が、表現の内容及び表現活動の態様について、得意に悪質性の高いものであることを要件としたものであり、当該表現活動が、個人若しくは集団をその蔑称で呼ぶなど、個人若しくは集団を相当程度侮辱し、若しくはひぼう中傷するものであること、又は
個人若しくは集団の生命、身体若しくは財産について危害を加える旨を告知するなど、社会通念に照らして、その個人等に脅威を感じさせるものであることを要する旨を規定したものであり、
③同項3号は、当該表現活動が、仲間内等の限られた者の間で行われるものではなく、不特定多数の者が表現の内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるものであることを要する旨を規定したもの。
前記解釈を前提とした上で、
本件各規定の目的のために制限が必要とされる程度と、
制限される事由の内容及び性質、
これに加えられる具体的制限の態様及び程度等
を衡量して合憲栓を判断するという利益衡量論に依拠
ア:本件条例2条1項にいうヘイトスピーチ(条例ヘイトスピーチ)に該当する表現活動は、人権又は民族に係る特定の属性を理由として特定人等を社会から排除すること等の不当な目的をもって公然と行われるものであって、
その内容又は態様において、殊更に当該人種若しくは民族に属する者に対する差別の意識、憎悪等を誘発し若しくは助長するようなものであるか、又はその者の生命、身体等に危害を加えるといった犯罪行為を扇動するようなものであるといえる
⇒これを抑止する必要性が高く、市内においては、実際に前記のような過激で悪質性の高い差別的言動を伴う街宣活動等が頻繁に行われていたことがうかがわれる事等も勘案すると、条例ヘイトスピーチの抑止を図るという本件各規定の目的は合理的であり正当なものということができる。
イ:これにより制限される表現活動は前記のような過激で悪質性の高い差別的言動を伴うものに限られる上、その制限の態様及び程度においても、事後的に市長によるインターネット上の表現の削除要請や表現活動をしたものの氏名又は名称の公表等の対象となるにとどまる
ウ:市長による要請に従わないものに対する制裁はなく、表現活動をしたものの氏名等を特定するための法的強制力を伴う手段も存在しない
⇒
本件各規定による表現の事由の制限は、合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものというべきであり、また、条例ヘイトスピーチの定義で規定した同項等の内容が不明確なものとはいえず、過度に広範なものともいえない
⇒
本件各規定は、憲法21条1項に違反しない。
<解説>
●住民訴訟において法令の合憲性を争うことの可否
◎ 最高裁昭和37.3.7:
大阪府の住民である原告が、市町村警察を廃止しその事務を都道府県警察に移した警察法が憲法92条(地方自治の本旨)に違反し、無効であるなどと主張して、大阪府の警察費予算の支出の差止めを求めた住民訴訟の事案において、警察法が憲法92条に違反するものではないとの判断を示している。
行政機関等の設置に関する法令が違憲無効⇒当該行政機関等の活動に係る公金の支出についても、法律上の根拠を欠くこととなり、違法となる⇒上記のようなケースでは、住民訴訟により法令の合憲性を争うことができる。
◎ 住民訴訟の対象は、地自法242条1項により、「公金の支出」「財産の取得、管理若しくは処分」、「契約の締結若しくは履行」、「債務その他の義務の負担」(財務会計行為)又は「公金の賦課若しくは徴収若しくは財産の管理を怠る事実」とされている
⇒法令の違憲が個別の財務会計行為の違法を基礎付けるものである限りにおいては、住民訴訟において、当該法令の合憲性を争うことができると解すべき。
他方で、法令の意見が個別の財務会計行為の違法を基礎づけるものではない⇒当該違憲をいう点は主張自体失当となり、他に当該財務会計行為の違法を基礎づける主張がなければ、直ちに請求は棄却される。
◎ 本件:
Xらが違憲無効と主張している本件各規定のうち、審査会の設置(本件条例8条)等に係る規定が違憲無効⇒審査会の委員の地位や審査会による手続自体が法令上の根拠を欠く⇒同委員に対する報酬等に係る支出命令の違法が基礎づけられる⇒Xらは本件各規定の違憲性を争うことができる。
●表現の内容に着目した規制の合憲性審査の枠組み
◎ 表現の自由を始めとする精神的自由については、民主制の過程を支える重要な権利⇒それが不当に制限されている場合には、国民の知る権利が十分に保障されず、民主制の過程そのものが傷つけられている⇒裁判所が積極的に介入する必要があり、精神的自由を規制する立法の合憲性を裁判所が厳格に審査しなければならない。
表現内容規制については、
学説上は、極めて厳格な基準とされる明白かつ現在の危険の基準(①ある行為が近い将来、ある実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること、②その実質的害悪が極めて重大であり、その重大な害悪の発生が時間的に切迫していること、③当該規制手段が前記害悪を避けるのに必要不可欠であることという3つの要件の存在が立証された場合にはじめて、当該表現を規制することができるとするもの。)により合憲性を審査すべきであると解する立場も有力。
◎ 判例:
未決勾留により拘禁されている者の新聞紙、図書等の閲覧の自由の制限が問題となった最高裁昭和58.6.22を始めとして、表現内容規制について、一律の審査基準を定立して合憲性を判断するという手法を採用せず、①制限の必要性の程度と、②制限される自由の内容及び性質、③これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を衡量して決するという利益衡量論に依拠した上で、
それが無原則、無定量に行われることがないように、事案に応じて、利益衡量を指導するルール(利益衡量の方法)として、学説いう厳格な審査基準(明白かつ現在の危険の基準、必要最小限度の原則。LRAの基準、漠然性ゆえに無効の法理、過度の広汎性のゆえに無効の法理等)の趣旨を取り入れてきた。
~
表現内容規制の在り方は様々⇒ 一律の基準を定立するのではなく、事案に応じて柔軟に対処していることを要するとの考え方に基づくもの。
◎ 従来の判例:
①規制される自由又は利益につき、
保護の必要性が特に高く、制限の程度も重大であるような場合⇒明白かつ現在の危険の基準を意識した利益衡量の方法
②その保護の必要性が低く、当該規制の外縁が比較的明確かつ限定的なもの
⇒特に利益衡量のの方法について具体的に明示せず
③その余のもの
⇒明白かつ現在の危険の基準以外の厳格な審査基準を意識した利益衡量の方法を採用し、又は「①禁止目的、②これを禁止される政治的行為との関連性、③政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することによる失われる利益の均衡」の3点により合憲性を検討するという合理的関連性の基準によるという傾向を指摘。
昭和58年最判:
新聞紙、図書等の閲読の自由については、個人の思想及び人格の形成・発展や、民主主義社会における思想及び人格の形成・発展や、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保に資するものであり、かつ、新聞紙、図書等の一部を抹消した場合、当該抹消部分に記載された思想、情報等を認識することが全くできなくなること等
⇒
右の制限が許されるためには、当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監護内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右の制限の程度は、右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当。
~
最も厳格とされる明白かつ現在の危険の基準を意識した利益衡量を行ったもの。
H2.9.28最判:
政治目的の放火等の扇動等を処罰する破防法39条等につき、同扇動等が重大犯罪を引き起こす可能性のある社会的に危険な行為であるとして、特に厳格な審査基準を意識した説示をすることなく合憲の結論を導いている。
~
「保護される利益>規制される利益」が明白であることや、規制の外縁が比較的明確かつ限定的であることをふまえた判断。
最高裁昭和59.12.12:
と時の完全定率法21条1項3号の規定によるわいせつ表現物の輸入規制の憲法21条1項適合性が問題となった事案において、わいせつ表現物を否定的に評価し、その規制の必要性を前面に据えた説示をする反面
「法律をもって表現の自由を規制するについては、基準の広汎、不明確の故に当該規制が本来憲法上許容されるべき表現にまで及ぼされて表現の自由が不当に制限されるという結果を招くことがないように配慮する必要があり」とも説示。
~
わいせつ表現物については、制限される自由又は利益の内容及び性質等の点において、昭和58年最判と比べ、衡量すべき価値自体の優劣の判断は容易⇒明白かつ現在の危険の基準を意識した利益衡量にはよらない。
but
制限される自由又は利益の外縁の明確性、限定性の点等からみると、その判断が容易とはいえない側面も否定できない⇒本来の規制対象としてそう想定される表現を超えて、表現の自由を不当に制限することとならないよう、漠然性のゆえに無効の法理等の厳格な基準を意識した利益衡量を行った。
表現内容規制の憲法21条1項適合性の判断において合理的関連性の基準を用いた最高裁の判断は少数であり、最高裁昭和49.11.6の公務員の政治的行為を規制対象とした事案に限られる。
◎判例は、・・・前記の利益衡量の際に、審査の対象となる規定を合理的に解釈し、その解釈を踏まえて当該規定の合憲性を判断するという手法を採用。
最高裁H24.12.7の千葉勝美裁判官の補足意見:
公務員の政治的行為を禁止する国公法102条1項の合憲性が問題となった事案において、まずは対象となっている規定について丁寧な解釈を試みるべきであり、その作業をした上で具体的な合憲性の有無等の審査に進むべき。
●本判決について
◎ 本件条例乗のヘイトスピーチの定義を規定した本件条例2条1項について、・・・によれば、条例のヘイトスピーチが市長による拡散防止措置等の対象となることから、差別的言動解消推進法2条と比較して詳細な定義をしたものであり、
①目的の要件、②態様の要件及び③不特定性(公然性)の要件の3つを全て充足することを要するとしたもの。
①について:
表現の自由との関係を考慮して、単なる批判や非難を対象外とすることを趣旨とする
②について:
相当程度の侮辱等をするもの又は個人等に脅威を感じさせるもののいずれかに該当することを要する⇒表現の悪性を審査することとした。
③について:
不特定多数の者が表現の内容を知り得る状態に置くような場所又は方法で行われるものであることを要する⇒仲間内に限定された表現活動を除外する趣旨。
but
本件条例2条1項1号は、問題となる表現が人種又は民族に係る特定の属性(民族的属性)を理由とするものであることを明示せず、民族的属性を有する個人又は該当個人により構成される集団を「特定人等」と定義した上で、特定人等を社会から排除すること(同号ア)、特定人等の権利又は自由を制限すること(同号イ)等を目的とすることを規定。
but
一般に、民族的属性を有しない個人を想定することはできず、全ての個人がこれに該当することとなる⇒「特定人等」の概念を基に規制対象を限定することはできない。⇒同号の文言のみからは、民族的属性を理由とするものではない表現活動(例えば、個人の具体的な違法行為の存在を理由に処罰を求める表現活動等)であっても、特定人等の権利又は自由を制限することを目的としているなどという捉え方をすれば、同号に該当すると見る余地があることとなる。
同項2号は、表現活動の内容及び態様について、
「特定人等・・・に脅威を感じさせるもの」などと規定するにとどまり、その具体的内容又は態様を例示するなどしておらず、その対象とされた個人等に対して主観的な不安感等を与えたことをもって、同号に該当するとの解釈も成り立ちえないではない。
⇒
本判決は、まず、憲法判断に先立って、本件各規定のうち、本件条例上のヘイトスピーチの定義を規定した本件条例2条1項につき、解釈を示したもの。
本件条例の制定経緯及び文理に照らせば、本件条例は、表現の自由の保障に配慮しつつ、当時、市内で頻繁に行われていた、特定の民族等に属する集団を一律に排斥する内容、同集団に属する者の生命、身体等に危害を加える旨の内容、同集団をその蔑称で呼ぶなどして殊更にひぼう中傷する内容等の民族的属性を理由とする過激で悪質性の高い差別的言動の抑止を図ることをその趣旨とするものと解すべき。
⇒
民族的属性を理由とするものではない表現行為が条例ヘイトスピーチに含まれるとの解釈や、表現行為が、その対象とされた個人等に主観的な不安感等を与えることをもって、直ちに条例ヘイトスピーチに該当するとの解釈は、前記趣旨を超えて表現の自由を制約することとなるから、採用し難い。
◎ 本件各規定が憲法21条1項に違反するか否かを検討するに当たり、いかなる利益衡量の方法をとるべきか?
民族的属性を理由とする差別的言動を伴う表現活動自体は、社会的に許されるものではないことが明らかであり、少なくとも昭和58年最判における閲読の自由等を比肩すべき価値は見出し難い⇒最も厳格な基準である明白かつ現在の危険の基準を意識した利益衡量を行う必要があるとはいえない。
but
民族的属性に言及する表現活動には、海外の政権等による人権侵害、大量破壊兵器の開発やこれらを支持、支援しているとみられる個人又は団体に対する批判、わが国における出入国管理政策についての議論等の政治的表現との切り分けが困難なものも含まれ得る。
政治的表現の自由は、民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するもの⇒本来の規制対象として想定される範囲を超えて、これが不当に制限されることとならないよう細心の注意を払う必要がある。
⇒
本件においては、本件各規定による表現の自由の制限が合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものといえるかを吟味するとともに、漠然性のゆえに無効の法理及び過度の広汎性のゆえに無効の法理といった厳格な審査基準を意識した利益衡量を行うことが相当。
◎ 本判決は、本件条例2条1項の文言を限定的に解釈した上で、その解釈を前提に合憲の結論を導いた。
講学上の合憲限定解釈:条文に合憲的部分と違憲的部分(違憲の疑いがある部分)が含まれている場合に、違憲的部分を解釈により切り落とす手法とされ、
通常の解釈手法(文理解釈・目的論的解釈・体系的解釈等)により違憲の疑いのない意味に解釈し得る場合には、合憲限定解釈とは呼ばない。
本判決は、文言通りに解釈すると違憲の部分が存在することを示唆する説示をしていない⇒本件条例の趣旨目的に沿って、文言を合理的に解釈するという通常の解釈手法(目的論的解釈等)によったものであって、合憲限定解釈をしたものではないと思われる。
判例時報2530
大阪のシンプラル法律事務所(弁護士川村真文)HP
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