低血糖症による意識障害に起因する交通事故の事案
①大阪地裁R1.5.22
②大阪地裁R1.5.30
<解説>
運転開始時点で正常な運転に支障が生じる状態でなくても、その後の走行中に正常な運転に支障が生じるおそれがある状態が生じており、そのことを認識した上で運転を開始して、意識障害の状態に陥り、自己を起こして人を死傷させる行為類型について、自動車死傷法3条が制定(平成26年5月施行)。
運転開始に際して、その後の走行中に低血糖による意識障害に陥るかもしれないことを予見し、低血糖状態に陥らないための防止策をとるまでは運転を開始してはならない注意義務を課し、これに違反して運転し、意識障害に陥って自己を起こし、人を死傷させた場合を過失運転致死傷罪(自動車死傷法5条)に問うことも考えられる。
低血糖症で意識障害に陥ったことに起因する交通事故について危険運転致死傷罪として起訴することができるようになったが、実務上、これを主位的訴因、過失運転致死傷罪を予備的素因として構成するケースがあり、①事案、②事案ともそれ。
<解説・判断>
●運転中に意識障害に陥る可能性の認識と予見
◎①事件
被告人が、運転開始前に、低血糖症の前兆を感じておらず、運転中に低血糖症により意識障害になる具体的なおそれを認識していたとはいえない⇒主位的訴因を排斥。
意識障害に至る可能性を予見することができたはずで、血糖値の安定を確認した上で発進・走行する義務を怠った⇒予備的訴因を認定。
◎②事件
被告人が、運転開始時に、低血糖症の初期症状を感じていたとしても、糖分入りのコーヒーを飲むなどして適切な血糖値管理を行なっているとの認識がある場合には正常な運転に支障が生じるおそれがある状態であるとの認識を認めることはできない⇒主位的訴因を排斥。
自己の経験に基づく対処で血糖値が回復できないどころか、症状の悪化を確認した上で他の対処を考える余裕もない事態を予見できたとも言い難く、運転を差し控える注意義務を課すことはできない⇒予備的訴因も排斥。
●主位的訴因と予備的訴因の関係
①事件の差戻前控訴審:
被告人が運転開始時に低血糖症の前兆を感じていたとしてもその事実だけから運転中に意識障害に陥るおそれを具体的に認識していたとはいえないとする一方、
前兆を感じていたのでなければ意識障害に陥ることを予見する可能性を認めることは困難
⇒
第一審における主位的訴因と予備的訴因についての検察官の理解と予備的訴因の構成を批判し、被告人が運転開始時以後に低血糖症の前兆を感じていたと認められる場合の過失の有無を審理すべきであるとして、原判決を破棄し、差し戻した。
~
原審が釈明を求め争点を顕在化して当事者に主張立証を促すべきであったとして、事実誤認は争点整理が不十分であったことに起因すると指摘。
●主位的訴因が攻防の対象から外れたか?
①事件の差戻前第一審は主位的訴因を認定せず、予備的訴因を認定して有罪判決
このような場合に、控訴以降の手続において主位的訴因が攻防の対象から外れるか?
差戻審:
主位的訴因と予備的訴因の本質的な違いは「正常な運転に支障が生じるおそれがあるとの認識の有無」であって、
①前者が成立する場合は後者は成立せず、
➁主位的訴因を設定するかどうかは検察官の裁量による
⇒
・・・・主位的訴因の訴訟行為を断念したものと解して、攻防の対象から外れたものと判断し、審理の対象とはしなかった。
本位的訴因と予備的訴因とで過失の内容を変えた事案で、
「検察官が本位的訴因の訴訟行為を断念して、本位的訴因が当事者間の攻撃防御の対象から外れたとみる余地はない」として、本位的訴因を認定して有罪判決をした差戻後第1審の判決に違法はないとした最高裁H1.5.1。
本位的訴因(賭博開帳図利の共同正犯)を認定せず、予備的訴因(幇助犯)を認定した有罪判決に検察官が公訴しなかった事案について、「検察官は、その時点で本位的訴因につき訴訟追行を断念し、控訴審の時点で既に攻防の対象から外されていた」⇒控訴審が職権により本位的訴因について調査を加えて有罪の自判をしたことは職権の発動として許される程度を超えて違法とした最高裁H25.3.5。
検察官が本位的訴因の訴訟追行を断念したとは認められないとして控訴審が職権調査を行ったものに、高松高裁H28.7.21。
●控訴審の破棄判決の拘束力
①事件:差戻審で検察官が訴因を変更して、被告人は運転開始前に前駆症状を自覚していたとの主張に転じ、過失の判断構造が異なったものになった⇒差戻審の判断に拘束力が及ばないと判断。
●運転避止義務の設定
①事件:
糖尿病の専門医(1人は被告人の主治医)の証人尋問などの証拠調べ。
被告人は発進前に低血糖症の前駆症状を自覚していた一方、
糖分を摂取し血糖値を上げる措置をとったものであると認定。
インスリンの効き具合によっては糖分を摂取しても血糖値を回復できない可能性があることを予見できたはず⇒発進前に血糖値を測定して低血糖の状態にないことを確認しない限り運転を差し控える義務があり、被告人はこれに違反し運転⇒有罪。
被告人が、運転開始時において、自分の身体の状態をみて、①その後の運転中に意識障害になる具体的なおそれがある状態であることを認識していたこと、あるいは、②意識障害に陥るかもしれないことを予見しえたことが立証対象。
but
客観的証拠としては本人によって測定された血糖値などしかなく、被告人が自分の体調をどう認識していたかは本人の供述に依拠。
治療歴や、医師の指導、本人の血糖管理などの点からの検討も必要。
判例時報2463
大阪のシンプラル法律事務所(弁護士川村真文)HP
真の再生のために(事業民事再生・個人再生・多重債務整理・自己破産)用HP(大阪のシンプラル法律事務所(弁護士川村真文))
| 固定リンク
「判例」カテゴリの記事
- 懲戒免職処分に先行する自宅待機の間の市職員の給料等請求権(肯定)(2023.05.29)
- 懲戒免職された地方公務員の退職手当不支給処分の取消請求(肯定)(2023.05.29)
- 警察の情報提供が国賠法1条1項に反し違法とされた事案(2023.05.28)
- 食道静脈瘤に対するEVLにおいて、鎮静剤であるミダゾラムの投与が問題となった事案 (過失あり)(2023.05.28)
- インプラント手術での過失(肯定事例)(2023.05.16)
「刑事」カテゴリの記事
- 詐欺未遂ほう助保護事件で少年を第一種少年院に送致・収容期間2年の事案(2023.05.07)
- 不正競争防止法2条1項10号の「技術的制限手段の効果を妨げる」の意味(2023.05.01)
- 保釈保証金の全額没収の事案(2023.04.02)
- 管轄移転の請求が訴訟を遅延する目的のみでされた⇒刑訴規則6条による訴訟手続停止の要否(否定)(2023.04.02)
- いわゆる特殊詐欺等の事案で、包括的共謀否定事例(2023.03.23)
コメント