湖東記念病院再審請求事件無罪判決
大津地裁R2.3.31
<経緯>
●確定判決(1審判決、控訴・上告は棄却で確定)の理由の骨子:
①解剖医Cの鑑定及び証言によって、患者の死因が意図的な酸素供給途絶による低酸素状態に起因する急性心停止と認定できる
②同酸素供給途絶の原因として考えられるのは、人工呼吸器の誤作動、何者かの過失行為又は故意による加害行為であるところ、関係証拠から、故意による殺害以外の可能性は否定される一方で、被告人には犯行の機会及び人工呼吸器に関する知識があった⇒被告人の自白供述に信用性が認められる。
●
第一次再審請求
第二次再審請求⇒即時抗告審で再審開始決定(「後藤決定」)⇒検察官の特別抗告棄却⇒再審公判
<解説>
●再審公判の審理方法
刑訴法451条1項:「裁判所は、再審開始の決定が確定した事件については・・・その審級に従い、更に審判をしなければならない」
本件:確定判決の審級が第1審
~
再審公判は、人定質問、起訴状朗読から始まり、証拠調べを経て、論告、弁論、被告人の最終陳述に至るまで、起訴状謄本の送達が不要であることや起訴状一本主義の適用がないことなどの例外を除き、通常第1審の公判手続に従って新たに審理が行われる。
刑訴法にはそれ以上に特別の規定なし。
A:確定審と関係なく新たに行われるべき(覆審説)
B(実務):破棄差戻し審に準じて公判手続と同様の手続によるべき(続審説)
←
再審が、誤って有罪判決を下された可能性がある場合に新たに審理して判決を言い渡す手続であるので、基本的に確定審の証拠調べも踏襲した上で、新たな証拠調べを行うべきと考えられる。
本件:続審説
松橋事件の再審無罪判決では覆審説
<争点と主張>
再審公判における検察官の態度:
A:有罪主張を維持するもの
B:無罪論告をするもの
C:有罪主張はしないものの、無罪論告もせず、適切な判決を求めるとするもの
本件:
取調済みの証拠に基づき適切な判断を求めると述べ、新たな立証を行わなかった。
検察官は確定審でおkなった主張の撤回をしていない⇒実質的には、なお当事者間の主張に争いのある事件。
争点:
①患者の死因
②被告人の捜査段階の自白供述の任意性、信用性
<判断>
●争点①(死因)についての判断
確定判決において高い信用性が認められた解剖医Cの鑑定書及び公判供述のうち死因の判断部分について、
①解剖時の検査結果によっても、形態学的な変化をもたらさない機能性疾患により死亡した可能性は排斥されず、
②仮に酸素供給欠乏による窒息死であると判断し得たとしても、解剖所見等による裏付けがなければ人工呼吸器の管の外れと判断することはできない。
~
確定判決と真逆の評価。
解剖医の示した結論が、警察官から提供された、真偽が疑わしい解剖所見外の情報に依拠して導かれた疑いがある(後藤決定で判示)
異常発見時の患者の顔面は蒼白であった⇒同事実は患者の死因が酸素供給遮断による窒息死であることとそぐわない。
(本判決は、解剖医Cが、救命措置施行前の患者の顔面に係る客観的事実を警察官から情報提供されていなかったと認定)
後藤決定以前に提出されていた山本医師、小出医師の各意見書に加え、再審開始決定確定後に作成された、法医学を専門とする吉田医師及び重症患者管理を専門とする福家医師の各意見書が弁護人から証拠請求⇒採用。
~
解剖医Cが検討していない患者の入院期間中(本件発生前の約8か月間)の検査記録を含む診療経過を踏まえ、C鑑定で示された客観的な解剖所見をも前提として合理的に導かれた内容。
⇒
C鑑定等の信用性に疑いがあり、かつ、酸素供給遮断以外に具体的に想定できる死因が複数認められるが、本件では被告人の自白供述がある。
仮にこの信用性が肯定できるのであれば、C鑑定等を補強証拠として、事件性及び被告人の犯人性が肯定できる可能性がある。
●争点②(自白供述の任意性、信用性) についての判断
◎検討の論理的順序及び信用性に関する判断
①自白の任意性、信用性の検討順序について、証拠能力の問題である任意性を先行させるのが論理的。
②一般に、自白に至っている被告人であっても、多少なりとも自己の刑事責任の軽減を図り、あるいは不都合な事実を隠蔽するなどの動機から、一部につき不合理な弁解をすることや、葛藤の中で供述が小出しになったり変遷することも実務上見られる。
⇒自白の任意性と信用性とは必ずしもリンクするものではない。
but
本判決:
本件の特質から、任意性と信用性の判断要素が相当程度重複する⇒信用性の判断を先行。
~
後記任意性に関する判断内容に照らすと合理的なものであったといえ、精緻な検討を可能にするための工夫と評価することが可能。
本判決:
①被告人の自白はめまぐるしく変遷しているが、特に、管の抜去による殺害を認めながら、人工呼吸器の消音状態維持機能を知った時期・方法については激しく変遷する動機は想定できない。
~後記任意性の判断にも強く関連する事情となる。
②死に瀕した患者が、病状に照らして医学上あり得ない多様な表情変化をさせたと述べる点で、被告人の自白は客観的証拠と矛盾している。
⇒
被告人の自白単独でも、これにC鑑定等を併せてみても、患者が酸素供給遮断状態を生じたために死亡したと認め得るほどの自白の信用性はない。
◎任意性に関する判断
〇 自白が「任意にされたものでない疑」(刑訴法319条1項、322条1項)があるといえるか否かにつき、これまで判例は、事案に応じた個別性の高い判断を示してきた。
・暴行・脅迫によるもの
・不当に長時間にわたる取調べによるもの
・起訴猶予にするという約束に基づく自白
・切り違い尋問による自白
・糧食差入れ禁止中及び禁止後の自白等
について、任意性に疑いがあると判断された事例がある。
任意性のない自白を排除
←
①虚偽廃除
②人権擁護
③違法排除
の各観点
〇規範定立
本判決:
任意性のない自白の証拠能力が証拠能力が否定される根拠に立ち返り、
捜査手続の違法・不当性及び被疑者の人権侵害の有無を中心に据えた上、
虚偽供述である可能性の点も付加して総合的に検討すべきであるとし、
その供述がなされる過程における
①人権侵害の有無・程度
②捜査手続きの違法・不当性の有無・程度
③当該自白供述に与えた影響の有無・程度(因果性)
④それらの事情による虚偽供述誘発のおそれ等
を総合考慮して判断するのが相当であり、
その際には、
⑤供述者側の事情(例えば、年齢、精神障害等の有無・内容)も考慮しつつ、実質的・具体的に判断すべきものであるとし、
任意性に関する規範を定立。
「実質的」
~
外形上自発的に供述しているかのように見える場合でも、違法・不当な捜査手続等によって誘発された実態がある場合には、任意性を否定し得る。
捜査の違法・不当性及び人権侵害の有無を考慮要素の中心に据えている。
←
虚偽排除の観点は、被疑者が、拷問により真実を自白した場合を説明できず、単体で中心に据えるには疑問。
検討要素を列挙した上での「総合考慮」
vs.
①ミランダ判決以前の、事情の総合説ないし事情の総体的アプローチによる事後的規制への回帰するもので不当
②個々の事情の持つ法的意味が明らかにならず、判断が不明確
③許容される取調べの限界を明示する機能を有さず、取調べ実務を有効に規制できない
④取調べ手続に違法があっても総合判断の一要素に過ぎなくなる
vs.
①本判決は、規範定立に至る部分において、捜査の違法・不当性及び人権侵害の有無を考慮要素の中心に据えることを前提として、自白排除の判断に際しいかなる要素がどのような意味を有しているかの点につき位置付けを明示
②あてはめ部分においても、取調警察官による不当な誘導や、被疑者の秘密接見交通権、弁護人による弁護を受ける権利の実質的侵害といえるかの点を中心に据え、規範として示した位置付けに従って検討
⇒
本判決は、基本的には我が国の判例の流れ(3つの観点を踏まえ、当該事案において重視すべき観点を違えながら事例判断をする)の中に位置付けられる。
本判決がこれまで任意性判断において考慮されることの少なかった供述者側の事情(年齢や精神障害等の有無・内容)を考慮要素として明示している点は非常に重要。
そもそも取調べ空間が捜査機関の支配・影響下にあるという点に十分留意する必要。
〇あてはめ
①F警察官は、被告人の迎合的な供述態度や自らに対する恋愛感情等を熟知しつつ、これを利用して被告人の供述をコントロールする意図の下、弁護人との信頼関係を損なうような言動をするなどして、被告人に対し、強い影響力を独占的に行使し得る立場を確立した上、捜査情報を教示しつつ、これと整合的な自白を獲得するために誘導
②このような操作は、被告人の秘密接見交通権や弁護人による弁護を受ける権利を実質的に侵害するものと言えるうえ、
知的障害等や愛着障害から迎合的な供述をする傾向が顕著である被告人に対し、前記のような誘導的な取り調べを行うことは、虚偽供述を誘発するおそれが高く不当。
③被告人が、弁護人と接見する度に否認に転じていた⇒F警察官の言動により被告人・弁護人間の信頼関係が揺らぐことがなければ、F警察官が被告人大使、強い影響力を独占的に行使し続けることは困難⇒本件自白供述は、F警察官の取調べによって誘発された。
④捜査機関側の事情に加え、知的障害等・愛着障害の特性から、通常であれば想定しがたい状況と考えられる取調警察官に恋愛感情を抱いたという被告人側の事情も含めて総合考慮
⇒
自白供述は、実質的にみて、自発的になされたものではなく、防御権侵害や捜査手続の不当によって誘発された疑いが強く、「任意にされたものでない疑」がある⇒証拠排除。
本判決:
証拠採用された精神保健指定医小出作成に係る意見書に信用性を認め、被告人が知的・発達障害及び性格的特徴としての愛着障害を有していたこと、さらにF警察官がこれらの実質を認識した上で、これを利用して自白を獲得したという一連の経過を認定。
判例時報2445
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