「道徳と利益」
シュンペーターの「創造的破壊」での「革新者」は、なぜ我々が「利益」と呼ぶものがあるかを説明する今のところ唯一の理論である。古典的な経済学者は、彼らの理論が利益の原理的説明を提供しないことをよく知る。実際、閉じた経済システムの均衡経済学において、利益の場所はなく、その正当化はなく、その説明もない。しかしながら、利益が純粋なコストであり、特に利益が仕事を維持し新たな仕事を創造する唯一の方法であれば、資本主義は再び道徳的なシステムとなる。
利益インセンティブの道徳的基礎における弱さは、マルクスが、資本主義者を、邪悪で不道徳であると批判し、資本主義者は「科学的に」機能を果たさないと断言することを可能にした。しかしながら、変わらない、独立した、閉じた経済の原理からシフトすると、利益と呼ばれるものは、もはや不道徳ではない。それは道徳的な命令となる。実際、質問はもはや「いかに経済を維持するために資本家に渡されなくてはならない利益と呼ばれる意味のない余剰の賄賂を最小化するよう経済は構築され得るか?」ではない。シュンペーターの経済学での質問は常に「十分な利益があるか?」である。将来のコスト、事業にとどまるコスト、「創造的破壊」のコストを賄うのに適切な資本形成があるか?
ソース:The Daily Drucker 18 March.
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