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2016年12月23日 (金)

「緊張状態での人の存在」

キルケゴールにとって、人の存在は、緊張の中(①精神における個人としての存在と②社会における市民としての存在の間での緊張の中)でのみ可能である。

社会の理性的な性格と個人と社会の理にかなった関係の崩壊は我々の時代の最も革命的な特性である。

社会は、人が社会でのみ生活し得ることを望むなら、人が絶望なしに死ぬことを可能にしなければならない。そして、それは、個人の生活を無意味にするという方法でのみなし得る。あなたが、人類の木の葉、社会の細胞に過ぎなければ、あなたの死は実際には死ではない。それは集合的再生プロセスと呼んだ方がいい。しかし、それでは、もちろん、あなたの命は本当の命ではない。それは、全体の命の中の機能的プロセスにすぎず、全体の文脈以外でいかなる意味もない。かくして、社会での人の存在を宣言する楽観論は絶望へと直行する。この絶望は全体主義へとのみ導く。人の存在は絶望にない存在、悲劇にない存在であり得る。信仰における存在であり得る。信仰は神において不可能は可能であり、時と永遠(来世)は1つであり、生も死も意味があるという信念である。

ソース:The Daily Drucker 24 December.

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