「社会の良心」
「経済人の終焉」(ドラッカーの本)は、教会は結局、ヨーロッパ社会とヨーロッパの政治のための基盤を提供しないという結論に達した。それは、現代人がそれらを無視するという理由によるものではないが、失敗する。宗教は、「個人の」絶望と存在の苦悩への答えを提供し得る。しかし、「大衆の」絶望への答えを提供しない。この結論は今日でも妥当する。人は、この世界を捨てる用意ができていない。人は、救済を期待するなら、現世の救済を求める。そして教会、特にキリスト教の教会は、「社会的福音」を、伝道できるしすべきである。しかし、それらは、政治を神の恵みにかえ、社会科学を贖罪に替えることはできないし、すべきでない。(あらゆる)社会の批判者である宗教は、神とともにある魂の国である真の神の国を捨てることなしに、いかなる社会も社会プログラムさえも、受け入れることはできない。そこに、社会の良心としての教会の強みと政治的/社会的力としての教会の弱みがある。
ソース:The Daily Drucker 17 October.
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