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2016年9月 4日 (日)

死刑制度についての(私の)考え方

昨日岡口裁判官のFBで死刑についてやりとりをした。私は死刑制度廃止に反対だが、そこでの私のコメントをまとめておく。

●私は死刑制度廃止には反対です。身内を理由なく殺された遺族が加害者の死刑を望むのは何らおかしいことではないし、その心情は法的に保護されるべきもの。(死刑相当でも)遺族が加害者の死刑を望まなければ死刑にしなければいいだけだと思います。

●フランスは死刑を廃止しながら、シリア空爆で裁判によらず無数の人殺しをし、テロでは(生きたまま確保できたと思われる)テロリストも射殺していますが、それは彼らにとっては「正義」なのでしょうね。

●国際的潮流(=欧米諸国の潮流)が正しいという根拠は全くないと思います。武士道では親の仇を打つのはむしろ子の務めでした。今の時代に武士道を強制するつもりもありませんが、人それぞれ。家族を殺されて加害者の死刑を望まない遺族もいるかもしれませんが、加害者の死刑を望む遺族もいる。どちらが間違いという問題ではありません。そういう場合に、個々の遺族の心情は法的保護に値すると考えます。ある意味、死刑廃止は、理由なく家族を殺された遺族の(加害者の死刑を望む)法的権利を踏みにじることになるのではないかと思います。

●だからそこは個人の価値観(=遺族の心情)を出発点とすべきだと思いますよ。理由なく家族を殺され、現実に加害者の死刑を望む遺族がいた場合、「あなたの心情は間違っている」ということは誰も言えないし、それを言う人がいたとすれば、傲慢だと思います。人権保障という観点から言えば、(場合によっては自分の命よりも大切なものを理由なく奪われた)遺族の権利こそ「人権」として尊重されるべきものだと思います。

●>死刑は、遺族の権利となると、遺族が死刑を望む場合には必ず死刑にするのか。現行法は、そうなっていない。

権利といっても、当然要件がありますよね。少なくとも、遺族が死刑を望むのであれば、その遺族の想いは裁判所によって十分考慮されるべき要素(=法的に考慮されるべき利益)であるという意味です。望めばかなえられるというものではありません。

●>私は被害者遺族の問題を解決しない限り死刑存廃を議論できないと思い日本被害者学会員になっていろいろ被害者問題を学んでまいりました。

被害者遺族の問題は、個人の問題(=遺族1人1人の問題)。ですから、一般的な解決はないと思います。もちろん、経済的に賠償されれば解決されるという問題でもありません。

●欧米を見ていると、死刑廃止(=死刑にできない)ということで、テロなど(死刑制度があれば)死刑相当事案では、確保時に犯人を殺している傾向があるように思います。裁判で正当な判決がなされないから、その枠外で殺してしまうという方向にいくとすれば、まさに本末転倒。憂慮すべきことだと思います。

●もちろん、被害者感情が全てではありません。今の基準でも甘すぎるという意見もあると思います。しかし(どれだけひどいことをしようが、フランスのテロのように何十人殺そうが)死刑の可能性がないのと(死刑の可能性が)あるのでは大きな違いだと思います。

●私の考えの基本は、人を殺した以上責任を取るべきであり、殺された遺族が死刑を望み、それがもっともなものとして尊重されるべき場合がある。個別事案において、死刑にすべき事案はあり得るから、死刑制度を廃止すべきでないというものです。

●(死刑確定者を)モンスターだとは思いませんよ。テロリストをモンスターだとも思いません。ただ、人を殺す以上、その責任を負うべき(=極刑を覚悟すべき)立場だということです。死刑制度が憲法違反かという点については、現在の判例・通説と同じ立場(=憲法違反でないという立場)です。

大阪のシンプラル法律事務所(弁護士川村真文)HP
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