「社会による救済」(毎日ドラッカー、2月15日)
●社会による救済についての信念の終わりは個人の責任への回帰へと導き得る。
信条としてのマルクス主義の崩壊は社会による救済についての信念の終わりを示す。何が次に現れるかは、我々は知り得ず、望み祈ることができるだけである。おそらく、ストア哲学の放棄?おそらく、知識社会における人のニーズと挑戦に取り組む伝統的宗教の復活?米国での私が「牧歌的」と呼ぶ(プロテスタント、カトリック、あるいは特定宗教と関係のない)教会の爆発的成長は前兆かもしれない。しかし、イスラム原理主義者の復活がそうかもしれない。今イスラム原理主義の世界に熱烈に奉じる世界のイスラム教徒の若者は、40年前であれば熱烈なマルクス主義者であった。あるいは新たな宗教が現れる?救い、自己再生、精神的な成長、善及び徳といった伝統的な言葉を使う「新人類」は、社会的目標や政治的処方よりも、再び、実存的なものと見られそうである。社会による救済についての信念の終焉は内面への転換となる。それは、個人である人の新たな強調を可能にする。それは、個人の責任への回帰へと導くかもしれず、少なくとも我々はそれを望み得る。
アクションポイント:人事部はあなたの面倒をみる責任を負わず、(その責任を負うのは)あなたである。あなたが得意なものを知り、あなたの結果があなたの期待通りとなるようにし、自分自身をマネジメントする。絶えず「私の貢献は何であるべきか」を問う。
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