« 「実践が先に来る」(毎日ドラッカー、1月12日) | トップページ | 需要曲線・供給曲線のシフト(クルーグマン・マクロ経済学) »

2016年1月11日 (月)

東京弁護士会のヘイトスピーチの「集会を拒否できる」パンフへの違和感

東京弁護士会がヘイトスピーチの集会を拒否するためのパンフを作製し配布したというニュースに接した。http://mainichi.jp/articles/20160110/k00/00e/040/125000c

尚、パンフ自体はネットで見つけることができなかったので、確認できていない。

私も、多くの弁護士と同様、日頃仕事で「憲法」を使うわけではなく、ほぼ大学での勉強と司法試験のための勉強の延長線上での知識と感覚によるものだが、上記ニュースに非常な違和感を感じた。そこで、憲法上問題があるのではというコメントをしたところ、反論を頂いたので、その違和感を確認すべく、憲法の本を開いてみた。

憲法21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。②検閲は、これをしてはならない。」と規定する。

そして、「表現の自由」は、①個人の人格の形成と展開(個人の自己実現)にとって、また、②立憲民主制の維持・運営(国民の自己統治)にとって、不可欠であって、この不可欠性の故に「表現の自由の優越的地位」が帰結される。(佐藤幸治「日本国憲法論」(以下「佐藤」とのみ引用)249頁)

「表現の自由」は人間の精神活動の自由の実際的・象徴的基盤であるとともに、人の内面的精神活動の自由や人身の自由や私生活の自由などの保障度を国民が不断に監視し、自由の体系を維持する最も基本的な条件であって、その意味で「ほとんどすべての他の形式の自由の母体であり、不可欠の条件である」(カードーゾ裁判官)(佐藤249頁)

また、構成的原理としての国民主権は、統治制度の民主化を要請するのみならず、統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能にする「公開討論の場」が国民の間に確保されることを要請する。集会・結社の自由、いわゆる「知る権利」を包摂する表現の自由は、国家からの個人の自由ということを本質としつつも、同時に、公開討論の場を維持発展させ、国民によるよる政治の運営を実現する手段であるという意味において国民主権と直結する側面を有している。(佐藤396頁)

そして、表現の自由の「優越的地位」に照らし、一般に通常の合憲性推定の原則が排除され、むしろ基本的に違憲性推定の原則が妥当し、その合憲性判断についても、基本的人権の制約に妥当する「合理性」の基準によるべきではなく、したがって事件ごとにあらゆる利益を衡量する「個別的利益衡量」に依拠することなく、変動する政治社会状況から表現の自由を守るに足る厳格な審査を可能にする客観的な判断枠組・基準を確立し、それを遵守しながら具体的な判断を行うことが要請される。そして、憲法は「検閲」の禁止を明記してこの点を示唆している。(佐藤254頁)

尚、米国でも、ニューヨークタイムズ社対サリバン事件判決(1964年)は、公務員の公的活動にかかわる名誉毀損事件では、被害者の方でその言説が「現実の悪意」をもってなされたこと(虚偽であることを知っていたか、また虚偽か否かを不遜にも顧慮しなかったこと)を立証しなければならない、との法理を打ち出した。この法理の基礎に据えられたのは「誤謬を含む陳述は自由な討議において避けがたいものであり、表現の自由が『息をつく余裕』をもつためにはそれも保護されなければならない」という考え方であった。表現の自由が元来「壊れやすく傷つきやすい」点に着目したこの「萎縮的効果」論は、名誉毀損の文脈においてのみならず、表現の自由の保障の全般を貫く基礎的哲学と解すべきものではないかと思われる(毛利透)。(佐藤254頁)

事前抑制とは、広義においては、表現行為がなされるに先立ち公権力が何らかの方法で抑制すること、および実質的にこれと同視できるような影響を表現行為に及ぼす規制方法をいう。この方法は、①情報が「市場」に出る前にそれを抑止するものであること、また、②手続上の保障や実際上の抑止的効果において事後規制の場合に比べて問題が多いこと、から、憲法による「表現の自由」の保障には、事前抑制の原則的禁止が含まれるということは一般に承認されている。(佐藤256頁)

そして、それとは別に、①漠然性故の無効の法理(明確性の法理)、②必要最小限の規制手段の選択に関する法理といった厳格な審査基準が求められる。

司法による事前差止について、北方ジャーナル事件で、最高裁は、公務員または公職選挙の候補者に対する評価・批判などにかかわる表現行為について、(1)①その表現内容が真実でなく、または②それが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、(2)被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときは、例外的に事前差止も許されるとする。同判決は、また、仮処分命令を発するについては「口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性などの主張立証の機会を与えることを原則とすべきもの」と述べ、当然のことながら手続保障にも配慮している。(佐藤257~258頁)

尚、表現内容に着目した内容規制は、時・場所・方法等の規制にかかわる内容中立的規制の場合より、厳格な審査が求められる。(佐藤261頁)

「集会、結社の自由」は、集団としての意思を形成し、その意思実現のための具体的行動をとることをその内実とするもので、「表現」と同一線上にある。(佐藤284頁)

公園や市民会館での集会の不許可について、最高裁は、
①「管理権に名をかりて実質上表現の自由又は団体行動権を制限することを目的としたものとも認められない」として不許可処分を正当とし(皇居外苑使用不許可事件判決)(佐藤286頁)、あるいは
②妨害による混乱を理由に公の施設の使用を拒否できるのは、「警察の警備等によってもなお混乱を防止することができない特別の事情がある場合に限られる」として不許可処分を違法とする。(神尾市福祉会館訴訟)(佐藤288頁)

以上を読む限り、対象がいわゆるヘイトスピーチ(それ自体から意味が明確でないように思われる)であるとはいえ、憲法上優越的な権利として最大限保障されるべき「表現の自由」に十分尊重すべき弁護士会が、(司法でない)行政による表現内容を理由とする集会規制を推奨することへの違和感は残ったままである。

東京弁護士会は、「人種差別撤廃条約」を根拠に規制できるとするようだが、日本は、同条約、第4条(a)及び(b)に関して、次の留保を付している。
「日本国は、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約第4条の(a)及び(b)の規定の適用に当たり、同条に「世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って」と規定してあることに留意し、日本国憲法の下における集会、結社及び表現の自由その他の権利の保障と抵触しない限度において、これらの規定に基づく義務を履行する。」

つまり「日本国憲法の下における集会、結社及び表現の自由その他の権利の保障と抵触しない限度において」(条約上の)義務を履行するものであることを明確にしている。

|

« 「実践が先に来る」(毎日ドラッカー、1月12日) | トップページ | 需要曲線・供給曲線のシフト(クルーグマン・マクロ経済学) »

憲法」カテゴリの記事

ヘイトスピーチ」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東京弁護士会のヘイトスピーチの「集会を拒否できる」パンフへの違和感:

« 「実践が先に来る」(毎日ドラッカー、1月12日) | トップページ | 需要曲線・供給曲線のシフト(クルーグマン・マクロ経済学) »