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2015年12月24日 (木)

流行と関係ないキルケゴール (毎日ドラッカー、12月25日)

●信仰は人が死ぬことを可能にするが、生きることも可能にする。

私の仕事は完全に社会にあった。しかし、1928年に遡れば、私の人生は完全に社会ではなく、社会の限界を越える存在的次元を持つべきはずであった。私の仕事は、まだ、完全に社会にあるが、このキルケゴールについてのエッセイは例外である。

キルケゴールの信仰は、恐ろしい孤立、人の存在の孤独と不調和を克服することはできないが、それを意味あるものとすることで、耐えうるものにできる。全体主義者の信条の哲学は人を死ぬことができるようにする。その哲学を過小評価することは危険である。悲しみと苦しみ、破滅と恐怖の時に死ぬことができることは偉大である。しかしそれは十分ではない。キルケゴールの信仰もまた、人が死ぬことができるようにする。しかし、それは、人が生きることができるようにもする。信仰は神において不可能は可能であり、時と永遠(来世)は1つであり、生と死は意味があるという信念である。信仰は、人は被造物であり、自律的でなく、主人でなく、目的でなく、中心でもないが、責任と自由があるという認識である。それは、「死に向かう時」ですら、神がともにいるという確信により克服される、人の本質的な孤独の受け入れである。

アクションポイント:社会による救済は結局は失敗する。社会におけるのと人としてのとの双方であなたを支える目的を見つける。

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