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2013年8月13日 (火)

企業と政府 ドラッカー(20)

●政府との関係をどう考えるか
政府との関係は、企業のマネジメントにとって、社会的責任に関わる重大な問題の1つ。
butマネジメントの社会的責任が論じられるとき、触れられることすらない。

政府と企業の関係について応えを出す段階にはいたっていない。
butケース・バイ・ケースであっても、問題の考え方や基準を手にしておなかければならない。

●歴史上のモデル
自由放任(レセ・フェール)は、
①経済理論のモデルであり、政治理論や政治活動のモデルではない。
②経済についても、イギリスで19世紀中ごろのごく短い期間に行われたにすぎなかった。

政府と企業の関係を律してきたのは、自由放任ではなく、2つの政治モデル。
重商主義(マーカンティリズム)と立憲主義(コンスティテューショナリズム)

A:重商主義モデル:
「経済」は国の主権、特に軍事力の基盤。
企業人は官僚に比べ社会的に劣る。
行政に携わる者の任務は、企業を支配し、強化し、奨励すること。
特に輸出を支援し奨励すること。

B:立憲主義モデル:
政府と企業は対立関係にある。
両者の関係は、行政によってではなく、法律によって規制されるべき。
重商主義が企業を指導、誘導、補助するのに対して、立憲主義は企業に「何々するなかれ」と言う。反トラスト法、規制機関、刑事告発を行使。

以上の2つのモデルは、政府と企業の関係を決定づけることはできなかったが、政府と企業の関係に関わる問題を、その都度解決するうえでは役に立った。

●新しい問題
立憲主義も重商主義も陳腐化し、もはや、いずれも政府や企業に指針を与えなくなった。

①混合経済の進展、②グローバル企業の発展、③社会の多元化、④マネジメントの台頭

① 混合経済の進展:
重商主義も立憲主義も、政府と企業の活動とが絡み合い、しかも両者が競合関係にあるという混合経済では役に立たない。

② グローバル企業の発展:
政治主権と国家経済が離婚した結果生まれたもの。
「国家経済」を定義することはできなくなっている。
but政治主権はいまだに完全に国家的である。

③ 社会の多元化:
政府はそれぞれ特有の目的を持つ無数の組織の1つにすぎない。
⇒政府以外の組織のリーダー、特に企業のマネジメントに社会的責任が生じる。
(政府の地位や役割に独自性がなくなった。)

④ マネジメントの台頭:
伝統的な2つのモデルは、いずれもオーナーたる企業人を一方の主役とする。
but現実はマネジメント

出身、教育、背景、価値観において、政府の人間と酷似したグループとしての企業のマネジメント。
政府省庁の人間もまた、他のあらゆる組織の指導者と同じように、マネジメントとなりつつある。
⇒政府と企業の間の昔からの境界線をなくし、政府と企業の区分さえ形骸化した。

●解決策を判断する基準
とりあえず必要なものは、
具体的な問題に対する中間的かつ一時的な解決策の良否を判定するための基準。
国、政府、経済、企業にとって基本的かつ長期的観点から必要とされるものを強化し、あるいは少なくとも守っていくための指針

今日期待できるのは、個々の問題に対する一時的な答えだけ。
それらの答えは、4つの最低限の基準を満たさなければならない。
① 企業とそのマネジメントを、自立した責任ある存在としなければならない。
変化を可能とする自由で柔軟な社会を守らなければならない。
グローバル経済と国家の政治主権とを調和させなければならない。
機能を果たす強力な政府を維持強化しなくてはならない。

大阪のシンプラル法律事務所(弁護士川村真文)HP
 
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